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4-千代稲荷神社、津山城下町まちなかお社巡り 津山まちづくり本舗 |
文化・歴史 / 津山まちづくり本舗 |
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千代稲荷神社、
所在:津山市山下82 祭神:倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 創建:承平4年(934) 祭礼:夏祭7/28 秋祭10/28 初午祭旧初午の日
承平(じようへい)4年(934)9月19日(人皇六十一代朱雀天皇の御代〉是の目、天気清朗で、お山は錦に輝き、山頂にある八幡様の大杉は天を摩し、神樹として辺りに威を放って居りました。 里人は、手に手に御酒を携え、境内に集まり、種々のお供を奉吠豊穣をお祈りし、酒を酌み交わして居りました。 丁度その時、一羽の鶴が、矢のように雪天より舞い降りて、大杉の天辺に止まりました。里人は手を拍って大いに喜び、この鶴をよく見ますと、曙に一把の稲を聞えて居りました。 やがて瑞鳥は、人々の頭上を、大きな輪を画いて舞い遊び、其の稲を神前に落すと、東へ指して朔け去りました。 里人は、之を祥塵を招くものと深く珍重し、この籾を翌年、神田に植えたところ、畦が隠れる程の収穫がありました。 里人は大変悦んで、大杉に五穀の神が降臨されたものとして、壇を築いて鶴の千歳を冠し、千代稲荷神社と崇め、五穀の神、倉稲魂(ウ力ノミタマ)命を御祭神としてお杷り致しました。そして此の大杉のある山を鶴山と時び、毎年神田で穫れた新米を御供えするのが習わしとなりました。
「美作国津山誌」によると、もとは鶴山八幡宮の摂社として鶴山の中腹に立地していたが、慶長9年(1604)森忠政の津山城築城に際して、八出村に移され、同13年(1608)再度、山北村八子に移転した。その後、寛永11年(↑ 634)に森家2代藩主長継が「鶴山に遷れば永世城の鎮護とならん」との夢の神告により城北に、さらに天和(てんな)3年(1683)に3代藩主長武が現在地に上棟したことが判明している。 建物の形式は「曙木入春日造」と呼ばれるものである。
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