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英文学者 本田増次郎の生涯 長谷川氏 美咲町合併10周年で講演! |
文化・歴史 / 美咲町 |
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 英文学者 本田増次郎の生涯、長谷川氏 美咲町合併10周年で講演! 7月5日(日)、美咲町・旧打穴小学校体育 館において、打穴里国宗出身の英文学者・本田増次郎の生涯「一人娘に言い残した謎の言葉『陰の外交官』をめぐって」と題し、東京都在住の長谷川勝政氏の講演があり100人以上もの人が拝聴しました。 この講演は、美咲町合併10周年の記念に開催されたもので、先には「山田方谷(柵原地域:松山藩財政再建者)」「岸田吟香(旭地域:ジャーナリスト)」の講演もありました。 まず、定本一友町長から、美咲町出身の偉大な人物の活躍を振り返ってみましょうと挨拶、その後、本田増次郎研究の第一人者で日本英学史学会・日本聖公会史談会の長谷川氏の紹介がありました。 長谷川氏は、増次郎の活躍ぶりを三部構成で話されました。 まず一部では、外務省の嘱託職員だったことを隠しながら陰の外交官として広報外交に身を投じたことなど、日本の進展に大きな貢献・足跡を残したことを話されました。
第二部では、 @子供時代から吉岡医院に努めながら東京を目指したこと。 A医者になる夢が嘉納治五郎との出会い、キリスト教への入信により、英語教師に転身したこと。 Bジャーナリストとして渡米・渡英し日本文化を紹介、帰国後も英文で執筆活動を続けたこと。 C宮内省に認められ、フランスに渡りパリ講和会議を取材、イギリス皇太子に随行その英語力とユーモアを絶賛されたこと。 D晩年の増次郎について、奈良正倉院の宝物紹介を英文で執筆中、病気が悪化し大正14年末59才で他界したこと。 などなど、増次郎は日本は勿論世界中に認められる活躍をしたなどと話されました。
第三部は、全体の纏めとなりましたが、好奇心と行動力旺盛だった増次郎が紹介され、特に、裏話などを交えながら学校経営にも携わったことや一時嘉納治五郎に破門されたこと、立教女学校で黒馬物語の一部を紹介し聞き入る学生が涙したことや日露戦争により友人を亡くしたことで平和運動に身を投じることになったことなど、私生活での増次郎の姿も紹介されました。 質問の時間に入り、拝聴者の一人から年代は違っても先人が道筋をつけていただいたお陰で、私も8年間アメリカで過ごすことができたと増次郎の功績を称える発言があり、事後に取材した某氏は、絵本で読んでいたのでよく判ったが、改めて増次郎の偉大さに驚きましたと話していました。 終わりに、泉和男教育長から、長谷川先生へのお礼と増次郎の功績を美咲町の町づくりに生かしたいとの言葉がありました。












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