林田町 【はいだまち】
宮川より東に広がる林田【はいだ】郷では、城下町の発展につれて、東に延びる街道沿いに町並みが形成され、元和三年(一六一七)には(旧)林田町【はいだまち】(後の橋本町【はしもとまち】)、林田町、勝間田町【かつまだまち】ができ、やがて三つの町名に分かれたという。 街道筋とは別に、林田町から屈曲して宮川に達する小さな道筋があり、そこは袋町と呼ばれていた。そして、江戸時代の初期には、この袋町から対岸に宮川橋が架けられていたという伝承がある。
林田町の地図
写真中央には、津山銘菓「霧襲(きりかさね)」を製造・販売している「京御門」がみえる。
蓮光寺 【れんこうじ】 慶長八年、森忠政公が津山入府の後、慶長十五年(一六一〇)本光院日秀は、この地に明星山蓮光寺を開いた。開基檀越は金谷佐大夫夫妻である。 寛文年間となり、徳川幕府の日蓮宗への禁圧、所謂寛文の法難により、寺運は衰微を極めたが、延宝年間、第5世是音院日厳の入寺により再興。下って天保末年に至り、火魔により本堂を焼失、嘉永元年(一八四八)第二十五世浄真院日誠により再建された。
千光寺 【せんこうじ】 当寺の開祖は、実峰良秀禅師の弟子であり、本寺瑞景寺(大本山総持寺の御直末)の二世綱菴正宗大和尚(一四三四年没)である。開創年月日応永年間(一三九四年〜一四二八年)の頃と思われる。 当時美作の国は、赤松、山名の両氏が長年守護職を争っていた戦国時代で、ご開祖さまはその赤松公の御子であり、そのため兵火によって寺が焼失したのか、その後二百年の寺の歴史は不明。江戸時代には香寅寺(開山千光寺四世)の二ヶ寺の末寺を有していたが、現在末寺のご本尊二体は千光寺に祀られている。 釈迦如来を祀っている。 また、しだれ桜でも有名な寺でもある。
小路地図。城東昔町並み保存地区にある出雲街道と上之町を結ぶ道には通り名がついている。
西美濃屋小路 【にしみのやこうじ】 美濃屋弥次郎の屋敷があったから名付けられた。森忠政公と一緒に美濃から移住してきたと思われる人物だが、どんな商いをしていたかは不明である。
美須屋小路 【みすやこうじ】 簾屋七郎兵衛の屋敷があったことから名付けられた。簾【すだれ】を販売していたと思われる人物。
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