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作州絣保存会作品展 アルネ津山 |
民工芸 / 博物館・資料館 |
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 作州絣保存会作品展 アルネ津山
平成27年1月6日(火)〜8日(木)10:00〜18:00 最終日は15:00まで 作州絣保存会は平成20年「作州絣研究会」を立ち上げ平成22年「作州絣育てる」と改名し平成24年「作州絣保存会」として現在に到っております。 そして、平成24年から「絣織り講座』を開講して3年、昔、作州にて織られていた手織り作州絣を、この地に伝えてゆきたいという思いから、みなさんに見て戴きたく、作品展のご案内を申しあげます。
津山市新魚町17 アルネ津山4F お問合先 : 作州絣工芸館 0868-23-0811
平成27年1月6日、アルネ津山展示会












T"作州絣"誕生秘話 岡山県北部の津山市周辺の地域では、山陰の倉吉絣などの影響を受げて、古くから自家用に絣が織られていたといいます 第二次世界大戦後、伝統の技術の継承と津山市の産業復興を目指す動きの中で、この絣織物が注目されました 昭和26年(1951)に開設された岡山県工業試験場美作分場では、染料や耐久性などの実験から、新しい図柄の考案に至るまで、さまざまな研究が行われ、名前も新たに"作州絣"として世に出たのでした 最盛期の昭和30年(1955)頃には、十数軒の業者が年間5万反以上を生産し、各地で展示会が催されました
U作州絣織元・大一織物の奇跡 作州絣の誕生から最後の織元となるまで、一貫して深く関わられたのが大ー織物の杉原博氏です 明治43年(1910)備後絣の織元に生まれた杉原氏は、造園の道に進みますが、津山に住んだことをきっかげに県工業試験場美作分場での指導を依頼され、作州絣の誕生に携わるうちに、やがて自らも織元の経営者となります 時代の流れの中、同業者は次々と廃業し、昭和40年(1965)頃にはただ一軒の織元となりますが、絣の技術を守り続け、昭和56年(1981)岡山県の郷土伝統的工芸品の指定を受けました 絣の本質を理解し、こだわりを持ってとりくんだ杉原氏は生前、 「絣はどんな人にでもよく似合うんですよ、背の高い人、低い人、色白の人、浅黒い人、着る人の個性ぞ引き立てるのが絣なのです」 と、まるでわが子のこを語るように話されています
V作州絣の"今" 大一織物・杉原博氏の没後、残念ながら作州絣の新たな生産は、行われていません 多くの愛好者から望まれている作州絣復興への願いを込めて「作州かすり研究会」は、再生産の可能性を探る活動を行っています (杉原氏のご遺族からお預かりした資料を、岡山県工業技術センターをはじめ専門家の方々のご協力を得て検証し、「作州絣の素材や工程を研究、伝統的な手織りの技術を倉吉絣に学んでいます 作州絣のこれからの物語にも、是非こ'注目ください


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